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【結論】南京大虐殺はあったけど30万人は人大杉 5

1 :街宣:05/02/12 21:11:01 ID:J8acFHzN
http://www.geocities.jp/uso888/nankin1.html
http://www.geocities.jp/uso888/nankin2.html
第13師団山田支隊長日記抜粋
[12月14日]
他師団に砲台をとらるるを恐れ、午後4時半出発、幕府山砲台に向かう。
明けて砲台の付近に到れば投降兵莫大にして仕末に困る。
捕虜の仕末に困り、あたかも発見せし上元門外の学校に収容せしところ、14777名を得たり。
山田支隊第65連隊大寺上等兵の陣中日記
[12月18日]
昨夜まで殺した捕リョは約二万、揚子江に2ヶ所に山のように重なっているそうだ。
七時だが未だ方付け隊は帰ってこない。
[12月19日]
午前七時半整列にて清掃作業に行く。揚子江の現場に行き、折り重なる幾百の死骸に警く。
石油をかけて焼いたため悪臭はなはだし、今日の使役兵は師団全部、午後二時までかかり作業を終わる。
昼食は三時だ。」

山田支隊第65連隊遠藤少尉の陣中日記
「捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引出し第一大隊において射殺す。
一日二合宛給養するに百俵を要し兵自身徴発により給養しおる今日、到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるもののごとし。」

引用元、偕行社の資料
http://www.google.com/search?num=100&hl=ja&c2coff=1&q=%E5%81%95%E8%A1%8C%E7%A4%BE+%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%88%A6%E5%8F%B2%E8%B3%87%E6%96%99%E9%9B%86&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
http://www13.ocn.ne.jp/~kaikosha/

強かった日本皇軍を示す貴重な資料ほかならない。それだけ。ニダ
前スレ
【結論】南京大虐殺はあったけど30万人は人大杉 4
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/kova/1105373103/


782 :名無しかましてよかですか?:05/03/11 00:43:58 ID:3go3hpRn
城内掃蕩での虐殺(下)下関虐殺
 下関での処刑に加わった兵士の日記があるが、匿名でその要点だけを記してお
きたい。
【某一等兵の日記要点十六日】
衛生兵が交叉点で通行人や逃走者の監視にあたり、段々男たちが連行され溜まっ
たころ、中に四十位の大阪弁の日本語を使う男がいて、それを通訳として聞きた
だすことにする。一人一人訊問するが、大抵は電気職工とか米屋とか職業をいう。
年齢と職業だけ取調べが済んだ者から別の所に座らせておいた。
 小隊長とその四十男は一人一人訊問して、おびえている未調べの男たちには、
取調べて怪しくないものは釈放すると言いきかせると、取調べの済んだグループ
には安堵の色が漂った。十九か二十位の男が連れて来られて服装は支那軍のもの
で、答められると如何にも無実のように泣き出し、叱るとなお泣いた。取調べの
コツが分かってきたのではかどる。しかし次から次と連行して来るものだから、
残りは減らない。

783 :名無しかましてよかですか?:05/03/11 00:44:27 ID:3go3hpRn
 ほとんどが職業年齢をスラスラ言う。支那人の巡査が来たので早速その中に敗
残兵はいるか、と聞いたところ、観察した結果ではすべて難民で敗残兵は一人も
いない、と言って敬礼して行ってしまった。
 全部取調べが終わったのは午後四時くらい、人数は二百十四、五名位いた。大
隊本部に連絡したところ全部処分せよ、という。自分たちは取調べの後は返すと
ばかり思って、手当たり次第に連れてきたのもので、明らかに良民と見られる中
年の男たちには気の毒な気がした。難民の母や妻が代わる代わる自分たちのとこ
ろに自分の子供や夫であるという嘆願にきた。しかし、もう処分することに定ま
ってしまったので一人でも返す事になれば、誰も彼もほとんど返すことになるだ
けにそれはできない。
 捕虜は宿舎の裏の葱畑におき、夕食後ものものしい警戒の中を夕暮れの中山北
路を連行する。隊伍が乱れると声高に叱唯し彼らは羊のように柔順だった。しか
しそれがかえって運命を知る自分たちを呵責した。日が暮れて把江門を通り下関
の埠頭に着いて、右に曲がり、葉の枯れたポプラ並木の下に捕虜を座らせ縄を集
めた。満月が晃々と江岸を照らした。先に来た部隊が刺殺処分を始めた。子羊の
群を五、六名ずつ江岸の柵に連れて行き刺殺する。初めて運命を知った彼らは俄
然殺気だって動揺したが、すでに手を縛られていた。

784 :名無しかましてよかですか?:05/03/11 00:45:43 ID:3go3hpRn
 処分を知った海軍士官や付近の部隊から見物や手伝いが多く、十名ばかりくれ
ないかと申し込んでくると、卵でも売るように繋がったまま十名でも十五名でも
分けてやった。目分たちはこの光景をみて戦敗国の悲哀を感じていた。晃々と輝
く月の下で、ヤッ、オーツと叫び声がとび、鬼気迫る思いであった。自分たちの
小隊だけでも二百名ばかり、他の中隊では五、六百名として、その総数は一万と
もいわれた。鹵獲した拳銃で撃ったり銃剣で突いたり、皆異常に興味をもってや
っているようだった。
 一通り終わったのは十一時頃で、柵から水面迄の間に息を殺して生き残ったの
が多数いた。支那軍の捨てた手榴弾に点火して投げる、小銃で狙撃する。最後に
積まれていた菅笠に火をつけて投げた。血なまぐささと衣服が焦げて凄惨鼻をつ
いた。それは生きながら見た地獄図絵だった。大体の後片付けが終えて宿舎に帰
ったのは一時過ぎだった。帰り道に月光の下で、小隊長が「これからの戦争は民
族と民族の戦いだから……」と自分らに、というより、自らを納得させるように
話されたのが印象に残っている。
−−−−

以上は、板倉由明,『本当はこうだった南京事件』,p169-171に記載されている。

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